2017年03月20日

宮沢賢治「無声慟哭」


宮沢賢治の最愛の妹とし子の臨終に書かれた詩「永訣の朝」「松の針」とお聴きいただきましたが、今日は三部作の最後「無声慟哭」の朗読をお聴きください。
賢治の一番の理解者であった最愛の妹とし子は、大正11年11月25日、24歳の若さでこの世を去りました。とし子は父に向かって「兄をよろしくお願いします」と最後の言葉を残して亡くなったそうです。。
「修羅」を歩いている・・・という賢治。。
生きることに悩み、葛藤している賢治の気持ちが伝わってくる詩です。

「無声慟哭」
こんなにみんなにみまもられながら
おまへはまだここでくるしまなければならないか
ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
また純粋やちいさな徳性のかずをうしなひ
わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
おまへはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするか
信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが
あかるくつめたい精進(しやうじん)のみちからかなしくつかれてゐて
毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき
おまへはひとりどこへ行かうとするのだ
(おら、おかないふうしてらべ)
何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら
またわたくしのどんなちいさな表情も
けつして見遁さないやうにしながら
おまへはけなげに母に訊(き)くのだ
(うんにや ずゐぶん立派だぢやい
  けふはほんとに立派だぢやい)
ほんたうにさうだ
髪だつていつさうくろいし
まるでこどもの苹果の頬だ
どうかきれいな頬をして
あたらしく天にうまれてくれ
(それでもからだくさえがべ?)
(うんにや いつかう)
ほんたうにそんなことはない
かへつてここはなつののはらの
ちいさな白い花の匂でいつぱいだから
ただわたくしはそれをいま言へないのだ
(わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)
わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは
わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ
ああそんなに
かなしく眼をそらしてはいけない
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posted by mika at 22:22| Comment(0) | 宮沢賢治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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